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福島地方裁判所郡山支部 昭和62年(ワ)35号 判決

第一事件原告(第二事件反訴被告、第三事件被告)

菅野丈夫

右訴訟代理人弁護士

松澤陽明

第一事件被告(第二事件反訴原告)

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

井関浩

右指定代理人

中野誠也

安岡昌龍

第三事件原告

東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

住田正二

右訴訟代理人弁護士

井関浩

主文

一  日本国有鉄道が第一事件原告に対してした昭和六〇年一二月三一日付懲戒免職処分が無効であることを確認する。

二  第二事件反訴原告の反訴請求及び第三事件原告の請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用中、第一事件原告(第二事件反訴被告、第三事件被告)に生じた費用の二分の一と第一事件被告(第二事件反訴原告)に生じた費用は、第一事件被告(第二事件反訴原告)の負担とし、第一事件原告(第二事件反訴被告、第三事件被告)に生じたその余の費用と第三事件原告に生じた費用は、第三事件原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(第一事件について)

一  請求の趣旨

1 主文第一項同旨

2 訴訟費用は第一事件被告(第二事件反訴原告、以下「被告清算事業団」という。)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 第一事件原告(第二事件反訴被告、第三事件被告、以下「原告菅野」という。)の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告菅野の負担とする。

(第二事件について)

一  請求の趣旨

1 原告菅野は被告清算事業団に対し金九万一二八〇円を支払え。

2 訴訟費用は原告菅野の負担とする。

3 1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告清算事業団の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告清算事業団の負担とする。

(第三事件について)

一  請求の趣旨

1 原告菅野は第三事件原告(以下「原告会社」という。)に対し、別紙物件目録(略)記載の建物部分を明け渡し、昭和六二年四月一日以降明渡し済みにいたるまで一カ月金七三三九円の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告菅野の負担とする。

3 1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告会社の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告会社の負担とする。

第二当事者の主張

(第一事件について)

一  請求の原因

1 原告菅野は、昭和五七年四月一日郡山機関区構内整備係として日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に雇用され、同年一一月一日から車両研修係(現名称運転検修係)として勤務していたものである。

2 国鉄は、昭和六〇年一二月三〇日に、同月三一日付で日本国有鉄道法(以下、「国鉄法」という。)三一条一項により原告菅野を懲戒免職処分にした。

3 被告清算事業団は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法一五条、同法付則二項、日本国有鉄道清算事業団法九条一項及び同法付則二条により国鉄の地位を承継した。

よって、原告菅野は右懲戒免職処分が無効であることの確認を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因事実は全て認める。

三  抗弁

1(一) 原告菅野は、昭和六〇年一〇月二〇日、千葉県成田市三里塚において、三里塚芝山連合空港反対同盟北原派主催による千葉県成田市三里塚上町二番地(三里塚第一公園)を拠点として開催された「二期工事阻止、不法収用法弾劾、東峰十字路裁判勝利、動労千葉支援一〇・二〇全国総決起集会」(以下、「本件集会」ともいう。)に参加した。

(二) 右集会の終了した同日一六時過ぎから一七時二六分頃までの間に、同市三里塚四二番地(三里塚十字路)を経て、同二三七番地先に至る路上及びその付近において、多数の者と共謀のうえ、原告菅野らは、丸太(長さ約六メートル)数本、多数の火災びん、鉄パイプ、角材、竹竿、木刀、棍棒、石塊などの凶器を準備して集合し、これを鎮圧しようとする警察部隊に対し、丸太を抱えて突入し、鉄パイプ、角材、竹竿などで突き、殴打したうえ、後方の集団からは、多数の火炎びん、石塊を投げつけるなどの行為を行って、警察官の生命、身体及び財産に危険を生じさせるとともに、同警察官らの職務の執行を妨害した事件(以下「十字路事件」という。)を惹起したが、この事件で凶器準備集合罪、公務執行妨害罪及び火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反等によって現行犯逮捕されたものは、約二四〇名に及んだ。

(三) 原告菅野はこの十字路事件において、後方の投石集団中において現行犯として逮捕された。

2(一) 右北原派の集会を支援する中核派等の過激派集団は、この集会を「今年最大の決戦」と位置づけ、同年夏頃から「空港突入・占拠・解体」を目標にして、全国からの動員を呼びかけていた。したがって、右集会後に、これらの過激派は、成田空港を警備する警察官と衝突することを当然予想し、警備陣を突破して空港を占拠する計画を立て、集会後のデモに使うため、丸太、角材、鉄パイプ、火炎びん、投石用のコンクリート片等の凶器となるものを事前に準備していた。一方空港を警備する警察もこの様な過激派集団の動きに備えて多数の警察官を動員して防備態勢を備えていた。この様な状況のもとにおいて、過激派集団のデモに参加すれば、警察官との激しい衝突に発展し違法行為を行うに至ることは、当然に予測できるところであった。

(二) 原告菅野は、当日の集会に参加する前に、もし予定どおり帰宅しない場合には、第三者に勤務先である郡山機関区に年休届けを出すように依頼していたのであり、右事実によっても、集会後にデモ隊が前述のような行動にでることを予測しながらこれに参加したことは明かである。

3 原告菅野は、同日逮捕され、その後引き続いて勾留され、同年一一月一一日釈放されたが、同年一〇月二一日、原告菅野の姉るり子により国鉄に対し、風邪を理由とする原告菅野の年休の申込みがあり(当日は原告菅野の勤務は非休であった)、翌二二日も右るり子から年休の申込みがあったので、国鉄において家族に問い合わせたところ、原告菅野の所在は不明であるとのことであった。翌二三日及び二四日には氏名を名乗らない男性からの電話で原告菅野の年休の申込みがあり、また同月二六日にも同様の電話があった。そこで同日午後七時五〇分頃、国鉄において右るり子に電話照会した結果、原告菅野が大塚警察署に勾留されていることが判明し、同月二八日小島弁護士発送の郵便により原告菅野の休暇届けが配達された。

原告菅野は釈放された翌日の同年一一月一二日に郡山機関区に出勤したが、坂本区長が所定の勤務を欠いた理由を尋ねたのに対し何も答えず、始末書の提出を再三にわたり求められても、これも拒否した。その後同月一八日になって「顛末書」を提出したのみで、所定勤務を欠いたことについて反省しなかった。

4 原告菅野は平常の勤務においても、以下に述べるように国鉄の規則に反することがしばしばありその業務に協力的でなかった。

(一) 昭和五九年二月一四日東北鉄道学園普通過程第六一回特別機関車科(EL第一分科)に入学し、同年四月一三日終了予定であったが、学習態度が極めて悪かったため、異例の未終了処分となった。

(二) 同年五月二八日郡山機関区の研修詰所の同人の机の上に「84国民春闘勝利・福島県労協青年部」と赤字に白く染め抜いたタオルをひろげ、また同月三〇日同じ机の上に「団結・抵抗・統一・団結」と白地に赤く染め抜いた手拭をひろげており、いずれも注意されて撤去した。

(三) 昭和六〇年三月二二日勤務中である午後一時ころ同機関区の総合庁舎三階に設置してある同区所有のワープロを使用し、動力車労働組合郡山支部検修分科の発行する「検修郡山」という組合の情報ビラを作成していたが、同機関区の区長の注意に対しても「手待ち時間である。何をやってもいいだろう。」と言って反抗したが、しぶしぶ退去した。同月二八日午後二時頃、勤務中であるのに検修詰所の自席で「検修郡山」三号を作成していて、管理者の注意を受けてやめた。同年四月一日午後一一時ころ、飲酒のうえ同機関区総合庁舎三階のワープロを使用して「検修郡山」を作成し、坂本区長から注意をされても、「自分の時間でやってなんで悪い。」などと大声で騒いだ。また同月一二日午後一時四五分ころ、勤務時間中であるのに同機関区DL記録室で「検修郡山」六号を作成しており、これを注意した坂本区長に対し「出て行け。こんなところに何しにきた。仕事もしないで。」と暴言をはいた。

(四) 同年五月一日午後一〇時四五分ころ、飲酒のうえ、同機関区のDL仕業検査詰所に入り込み上半身裸になり、これを注意した同機関区の橋本機関士に「うるせえ、この野郎。」と大声をあげ、臨場した公安職員にようやく名前を告げた。その翌日午前七時五〇分ころ、身体の調子が悪いからといって年休を要求して休み、前夜の行動について始末書を提出した。

(五) 同月二四日午前のディーゼル機関車のエンジンヘッドの分解作業中、同月三一日午前一〇時ころのディーゼル機関車の制輪子取替作業中及び同年六月五日午前九時四〇分ころ区名札作成中、いずれも同機関区の指示に反して安全帽(ヘルメット)を着用せず、注意されて着用した。

(六) 同年八月二一日ころ、「検修郡山」を作成し、「ヨッパライ区長は職場に入るな」と題し、「坂本区長は、ヨッパラってほとんど口もきけない(酒気を悟られまいと……)状態だったのです。」などと記載し、虚偽の事実を流布した。

(七) 同年九月五日の午後二時二〇分ころ、構内作業見習い中、首に赤タオルをだらしなく巻き、「合理化絶対反対」と赤ペンキで落書きをしたヘルメットを着用しており、坂本区長が注意しても「仕事の邪魔だ。区長は酒を飲んで来ていいのか。」とくってかかるように抗議して、そのまま作業を続けた。

(八) このほか昭和五八年二月から昭和六〇年二月までの二年間に感冒等を理由に二四日の病欠があり、勤務成績不良ということで昭和六〇年四月の昇給期に通常は四号俸昇給のところ、三号俸しか昇給できず、また職群も昭和五九年一〇月期と昭和六〇年四月期に四職群から五職群に昇格できる機会があったが、昇格できなかった。

5 本件処分の正当性

国鉄法三一条一項は、国鉄の職員が懲戒事由に該当した場合に懲戒権者である国鉄総裁は、懲戒処分として、免職・停職・減給又は戒告の処分をすることができる旨を規定しているが、懲戒事由に当たる所為をした職員に対し、総裁が右処分のうちどの処分を選択すべきであるかについては、その具体的基準を定めた法律の規定はなく、また国鉄の業務上の規定である就業規則にも具体的基準の定めはない。

ところで懲戒権者がどの処分を選択するかを決定するに当たっては、懲戒事由に該当すると認められる所為の外部に表れた態様のほか、右所為の原因・動機・状況・結果等を考慮すべきことは勿論、さらに当該職員のその前後における態度・懲戒処分等の処分歴・社会的環境・選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合考慮した上で国鉄の企業秩序の維持確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきであるが、どの処分を選択するのが相当であるかについての判断は、かなり広い範囲の事情を総合したうえでされるものであり、しかも処分選択の具体的基準が定められていないことを考えると、右判断については懲戒権者の裁量が認められているというべきである。したがって懲戒権者が裁量に基づいてした懲戒処分はそれが著しく合理性を欠き、社会常識上到底是認できない場合を除き、これが無効となることはない。

この裁量に際し考慮すべき事項は広範にわたるのみならず、これらの事項については、懲戒権者が平素から部内の事情について精通したうえ、職員の指揮・監督をしているのであるから、懲戒処分が懲戒権の濫用に当たるかどうかを判断するにあたっては、裁判所は、当該懲戒処分が社会通念上是認できないほど合理性を欠くかどうかの観点からすべきであって、自ら懲戒権者と同一の立場に立って選択した処分と実際にされた処分とを比較して濫用の有無を決してはならない。

国鉄は、従前国家がその行政機関を通じて直接に経営してきた国有鉄道事業を中心とする事業を引き継いで経営し、その能率的な運営によりこれを発展させ、もって公共の福祉を増進することを目的として設立された公法上の法人(国鉄法一条)で、その資本金は全額政府の出資によるものであり、その事業の規模が全国的かつ広範囲にわたるものであって、それ自体極めて高度の公共性を有するものであるが、この様な「公共の利益と密接な関係を有する事業の運営を目的とする企業体においては、その事業の運営内容のみならず、さらに広くその事業のあり方自体が社会的な批判の対象とされるのであって、その事業の円滑な運営の確保と並んで、その廉潔性の保持が社会から要請ないし期待されているのである」から、この様な社会からの評価に即応して、その企業体の職員に対しては、公務員と同様に「一般私企業の従業員と比較して、より広い、かつより厳しい規制がなされうる合理的な理由がある。」とされている。

しかも国鉄は、多額の負債を負い、多額の財政的支援のもとに実施しているその再建は、国家的緊急課題となっているなかで、国鉄の職員に対する廉潔性の要請はより強まっている。

この様な見地から本件懲戒処分をみると、前述の原告菅野の所為自体からみても、かかる職員を企業外に排除することはやむを得ない措置として社会的にも是認できることは明かであるといわなければならないのみならず、原告菅野の平素の勤務成績や勤務態度に過去の非違行為の情状を勘案すると、本件処分は正当であるといわなければならない。

四  抗弁に対する認否及び原告菅野の主張

1 抗弁1(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち、「原告菅野らは」の部分は否認し、その余の事実は認める。同(三)の事実のうち、原告菅野が逮捕された事実は認め、その余の事実は否認する。

当日の事件の概要として違法行為に直接加担したデモ隊の数は三〇〇名であり、これは警察発表による集会参加者三九五〇名の一割弱の人間である。他の人は、原告菅野と同様に集会場から衝突現場にかけての路上で待機し衝突の様子を窺ったり、負傷して戻ってきた者の手当てをしたりしていた。衝突が始まって三〇分ほど経過した後、集会参加者の一部は正規のデモコースを通ることに見切りをつけて徐々に反対側出口からデモに出発して行ったが、原告菅野を含む二〇〇〇名位の人は集会場付近で待機し続けており、そこに機動隊が乱入して逃げようとする原告菅野ら多数の者を逮捕したものであって、原告菅野は十字路事件において何ら違法行為に加担しておらず、いわゆる共謀共同正犯の意味においても加担していない。

2 同2(一)の「北原派の」から「呼びかけていた」までの事実のうち、「目標にして」の部分は否認し、その余の事実は認める。「したがって」から「備えていた」までの事実は知らない。その余の事実は否認する。

同2(二)の事実は否認する。原告菅野が逮捕されることをあらかじめ具体的に予測していたのであれば自分の勤務内容や逮捕時の対応策をきちんと指示説明しているはずで、休日である一〇月二一日に年休の申込みをさせるわけはない。原告菅野の姉に連絡して年休の申込みをさせたのは原告菅野が逮捕されたらしいことを知った原告菅野の友人が原告菅野のためを思ってしたことであり、原告菅野はそれを追認したにすぎない。原告菅野は、一般的・抽象的には誤認逮捕される危険性を知ってはいたものの、自らが違法行為に加わることを前提に逮捕の具体的な危険性を覚悟したことは全くない。

3 同3の事実は認める。

4 同4の事実は争う。

5 同5の主張は争う。

原告菅野は十字路事件において何ら違法行為に加担していない。いわゆる共謀共同正犯の意味においても加担していない。国鉄が非違行為を認定したのは逮捕・起訴猶予ということから導き出しているが、仮に逮捕され起訴されたとしても実際に犯罪行為が為されたか否かは、逮捕・起訴自体で認定するわけに行かない。そのことは国鉄の就業規則に「起訴休職」という制度が設けられていることからも明らかである。すなわち逮捕や起訴が客観的に間違いないものであることを、警察や検察に対する「一般的信頼」とは区別された裏付け調査で確認できなければ、犯罪行為の確認ができたとはいえないのである。職場以外における非行が懲戒事由となるか否かはそもそも問題であるが、仮に懲戒事由たりうるとしても、その事実認定は職場外のことであるがゆえに困難である。したがって一般的に就業規則には「起訴休職」という制度が規定されている。これは職場外における犯罪行為の有無については、処分権者が事実確認することが困難な場合が多いため、誤った処分を避けると同時に職場の秩序を暫定的に保持する必要があることから設けられたものである。起訴された場合でさえこのように慎重な対応が求められているのである。逮捕・勾留や不起訴の裁定主文が「起訴猶予」であったことで、事実確認が可能であるとするのであれば「起訴休職」制度などは全く不用になってしまう。起訴猶予処分の点も、「嫌疑なし」とか「嫌疑不十分」という裁定は特殊な例を除き行わないのが実状であり、いわば不起訴処分の形式を整えるだけのものとみるべきであって、非違行為の存在を公証するものではない。

懲戒処分ことに免職処分であるからには、処分の対象とされる非違行為は強く非難されるような非行でなければならない。であるならば、単に疑いをかけられて逮捕されただけでは処分の対象にならないはずである。また原告菅野が仮に当日の集会・デモが荒れるかも知れないと予想したとしても、公安委員会から許可された集会・デモに参加することはなんら非難されるべきことではない。さらにいえば、合法的な集会・デモの枠を越えて違法行為に及ぶ者がいたからといって、集会・デモへの参加を取りやめなければならない義務はなく、取りやめないからといって非難されることはない。さらにいうならば、違法行為に及んだ者達の立場に共感し、信条的支持を与えたとしても、そうした思想・信条への批判はあるだろうが、秩序罰たる懲戒を加える余地はないのである。

したがって、本件懲戒処分は、非違行為の不存在の事案について、懲戒権を行使したものであって、懲戒権を濫用したものである。

(第二事件について)

一  請求の原因

1 国鉄は、国鉄法に基づいて鉄道事業等を営む公法上の法人であり、その業務を円滑に遂行するため寮等を設置し、国鉄公舎基準規程(以下「基準規程」という。)に基づき業務上の必要に応じて職員の居住に当てているものである。

2 原告菅野は昭和五七年四月一日国鉄郡山機関区の準職員となり、同年一〇月一日国鉄の職員として採用され、同区の構内整備係、車両検修係となり、その後職制改正により運転検修係となった。国鉄は、前記基準規程に基づいて、昭和五七年八月四日原告菅野を別紙物件目録記載の建物(以下「本件寮」という。)の二階三号室(別紙図面二の斜線で表示する部分、以下「本件室」という。)に居住させているが、その使用料は毎月五九〇円であり、右使用料は当該月の原告菅野の賃金から控除し、電気、水道、重油及びガス代等の寮経費は実績により寮居住者に均分に負担させることとなっており、この経費は寮長等の寮管理者が原告菅野から直接徴収していた。昭和六一年一月から昭和六二年三月までは、別紙計算表のとおりである。

3 国鉄は昭和六〇年一二月三一日原告菅野を国鉄法三一条により懲戒免職処分に付し、原告菅野は国鉄の職員でなくなった。この処分の有効性は第一事件の抗弁のとおりである。基準規程一六条によれば、寮に入居している職員が職員でなくなった場合には三〇日以内に寮を明け渡さなければならないこととされている。

4 被告清算事業団が国鉄の地位を承継したことは、第一事件の請求の原因3のとおりである。

よって、被告清算事業団は原告菅野に対し、明渡義務不履行に基づく寮使用料及び寮経費相当の損害賠償請求として、九万一二八〇円の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2の事実中、寮経費については知らないが、その余の事実は認める。

3 同3の事実中、国鉄が懲戒免職処分に付した点は認めるが、右処分は懲戒権を濫用した無効な処分であるから、原告菅野は職員としての身分を有している。その主張の詳細は第一事件の抗弁に対する認否及び原告菅野の主張のとおりである。

4 同4の事実は認める。

(第三事件について)

一  請求の原因

1 原告会社は日本国有鉄道改革法等に基づき、昭和六二年四月一日国鉄の主として東日本における鉄道事業を承継するとともに、その事業の用に供するため本件寮の所有権の譲渡を受けた。原告会社は本件寮を国鉄当時と同様に厚生規程及び社宅等及び社員宿泊所等業務・利用規程(以下「利用規程」という。)を制定したうえ、これに基づいて社員寮として社員に使用させている。

2 原告菅野と国鉄との間における本件室の利用関係及び原告菅野の明渡義務の存在については、第二事件の請求の原因2、3のとおりである。

3 本件寮の使用料は国鉄当時と同様に、一カ月五九〇円であり、電気、重油、ガス等の経費は一部は原告会社が負担し、その余を居住する社員が負担することになっている。国鉄当時の昭和六一年一月から昭和六二年三月までの寮居住者の平均負担額は一カ月五五三四円である。

よって、原告会社は原告菅野に対し所有権に基づいて本件室の明渡しを求めるとともに、不法行為に基づいて昭和六二年四月一日から原告菅野が本件室を明け渡すまで一カ月六一二四円の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2の事実については、第二事件の請求の原因に対する認否2、3のとおりである。

3 同3の事実は知らない。

第三証拠(略)

理由

一  第一事件について

1  請求の原因事実は当事者間に争いはない。

2  そこで抗弁(懲戒処分の効力)について判断する。

原告菅野が、昭和六〇年一〇月二〇日、千葉県成田市三里塚において、三里塚芝山連合空港反対同盟北原派主催による千葉県成田市三里塚上町二番地(三里塚第一公園)を拠点として開催された「二期工事阻止、不法収用法弾劾、東峰十字路裁判勝利、動労千葉支援一〇・二〇全国総決起集会」に参加したこと、右集会の終了した同日一六時過ぎから一七時二六分頃までの間に、同市三里塚四二番地(三里塚十字路)を経て、同二三七番地先に至る路上及びその付近において、多数の者が共謀のうえ、丸太(長さ約六メートル)数本、多数の火炎びん、鉄パイプ、角材、竹竿、木刀、棍棒、石塊などの凶器を準備して集合し、これを鎮圧しようとする警察部隊に対し、丸太を抱えて突入し、鉄パイプ、角材、竹竿などで突き、殴打したうえ、後方の集団からは、多数の火炎びん、石塊を投げつけるなどの行為を行って、警察官の生命、身体及び財産に危険を生じさせるとともに、同警察官らの職務の執行を妨害した事件が発生し、この事件で凶器準備集合罪、公務執行妨害罪及び火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反等によって現行犯逮捕されたものは約二四〇名に及んだこと、原告菅野はこの十字路事件において現行犯として逮捕されたこと、右北原派の集会を支援する中核派等の過激派集団は、この集会を「今年最大の決戦」と位置づけ、同年夏頃から全国からの動員を呼びかけていたこと、原告菅野は、右逮捕後引き続いて勾留され、同年一一月一一日釈放されたが、同年一〇月二一日、原告菅野の姉るり子により国鉄に対し、風邪を理由とする原告菅野の年休の申込みがあり(当日は原告菅野の勤務は非休であった)、翌二二日も右るり子から年休の申込みがあったので、家族に問い合わせたところ、原告菅野の所在は不明であるとのことであったこと、翌二三日及び二四日には氏名を名乗らない男性からの電話で原告菅野の年休の申込みがあり、また同月二六日にも同様の電話があったこと、そこで同日午後七時五〇分頃、右るり子に電話した結果、原告菅野が大塚警察署に勾留されていることが判明し、同月二八日小島弁護士発送の郵便により原告菅野の休暇届けが配達されたこと、原告菅野は釈放された翌日の同年一一月一二日に郡山機関区に出勤したが、坂本区長が所定の勤務を欠いた理由を尋ねたのに対し何も答えず、始末書の提出を再三にわたり求められても、これも拒否したこと、その後同月一八日になって「顛末書」を提出したのみで所定勤務を欠いたことについて反省しなかったことは当事者間に争いはない。

3  (証拠略)によれば以下の事実が認められる。国鉄は、総裁室秘書課長・職員局長作成名義の「一〇・二〇成田闘争事件についての調査結果の通知について」と題する書面(証拠略)を根拠に十字路事件において原告菅野が投石集団中にいて逮捕されたものと認め、しかも、原告菅野は逮捕された場合には年休を申し込むよう姉に頼んでいたと認められるので、この様な逮捕に至ることをも予見していながらあえて本件集会に参加したこと、すなわち違法行為に加担する意思を予め有していたと認められるとして懲戒処分をしたこと、原告菅野は弁明弁護の機会に逮捕されたことは認めたが、右逮捕は集会をしていて、警官隊が入ってきて誰彼構わず逮捕されたのであって不当逮捕である旨を主張したこと、証人天野は本件懲戒処分の後に千葉県警察本部や千葉地方検察庁に赴いて事情を調査し、(証拠略)を入手するに至ったが、その裏付けとなる逮捕警察官の陳述書等は入手できなかったこと、また、その際原告菅野が投石集団中にいて逮捕されたことは認められるが、原告菅野が投石した事実は証拠上認められないので起訴猶予処分にしたと聞かされたことが認められる。

4  そこで、原告菅野の本件懲戒事由である「原告菅野が十字路事件において、投石集団中にいて逮捕された」事実を肯認できるか検討することとするが、右検討に先立ち、被告清算事業団も原告菅野が実際に投石行為を行ったとまで主張していないことから、「投石集団中にいた」という事実が非常に重要であり、したがって、その言葉の意味を明確化しておく必要がある。「投石集団中にいた」とは、一般的には、投石行為を現実に行っている多数の人間と一緒にいたことと理解され(原告菅野は、本人尋問の際に、「投石集団というのは、常識的に考えて、一〇〇人いたら、ほぼ一〇〇人が一緒に投げている」ことを指すと供述している。)、また、懲戒処分の対象とされていることをも加味すれば、現実に自らも投石を行うことは当然のこととし、少なくとも、現実に投石行為を行っている人間に対し、投石行為を容認し、これを容易にする諸々の行為を行うなど、投石行為を現実に行った者に対する否定的評価と同等もしくはこれに近い評価を与えられるものでなければならない。もし、このように解さず、「現実に投石行為を行った者と一緒に本件集会に参加していた」というような意味で足るとするならば、後述するように、逮捕された事実自体から犯罪行為を行ったと認定することが許されないことと相まって、「投石集団中にいて逮捕された」という本件懲戒免職の中核的事由自体が、労働者が勤務時間外に集会に参加するという憲法で保障された市民的自由を否定しかねないものとなり、たとえ本件当時、国鉄の再建が国家的緊急課題であり、国鉄職員の廉潔性が強く求められていたとしても、右に述べたような意味での本件懲戒事由を許容することにならない。

5  ところで、「投石集団中にいて」逮捕されたことについては、原告菅野はこれを強く争い、原告菅野本人尋問においても、本件集会終了からデモ行進に移る際に一部が武装を始め三里塚第一公園から正規のデモコースである三里塚十字路に向けて出て行き、三里塚十字路で機動隊と衝突したこと、それで原告菅野らはデモ行進を始めるわけにも行かずその成行きを見守っていたこと、そして原告菅野らは投石集団の後方から三里塚第一公園の入口付近にかけて、右往左往したり、負傷者の救護に当たったりしていたこと、そして催涙ガスで目を痛め水道で目を洗っているうちに前後を機動隊によって挟まれ、逃げ場を失って逮捕された旨供述する。右の原告菅野の弁解どおりであれば、到底前記の「投石集団中にいて」逮捕されたものとは認めがたい。そして投石行為を行っていない理由としては、三里塚第一公園の入口から三里塚十字路までは約二〇〇メートルあり、後方から投石すれば前方で機動隊と衝突している集会参加者に対しても危害を及ぼすかも知れないからであるとするのであって、その説明は一応合理的なものであると認められる。さらに証拠を検討するに、証人天野が千葉県警察本部から入手した資料(証拠略)によると、原告菅野は「昭和六〇年一〇月二〇日午後四時二三分ころから同日午後五時二六分ころまでの間、上記場所付近において警戒警備中の警察官に対し、鉄パイプで殴打し、多数の石を投げつける等の暴行を加え、同警察官の職務を妨害した。」とし、逮捕罪名として「凶器準備集合罪、公務執行妨害罪」が掲げられていたが、その後の捜査で原告菅野が投石した事実は証拠上認めることはできないとされ(このことは逮捕警察官ですら原告菅野の投石行為を現認していないことを推認させる。)、起訴猶予処分となった(その際、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪名が付加されている〈証拠略〉)。そして(証拠略)によれば「菅野丈夫が関与した事件の犯行場所及び犯行態様」が記載され、さらに「逮捕場所及び逮捕時の状況」欄に「十字路事件において、菅野は投石集団にいた。機動隊員(逮捕者)が、バリケードを撤去して投石集団を追った際、同集団中にいて逃走しようとする菅野を逮捕した。」と記載され、逮捕罪名は不起訴裁定書のそれと同様とされている。このように原告菅野の行為については、個別・具体的なものから、共謀の上、事件に関与したという不明確なものへの変遷がみられ、結局「投石集団中にいた」ということが取り残されクローズアップされるに至ったのである。そして前記の意味での「投石集団にいた」とされる客観的・具体的状況はなんら明らかにされておらず、またこれを裏付けるものは存しない。当時の混乱した状況を考慮に入れても、原告菅野がいかなる事実で、いかなる罪名で現行犯人として認められ、逮捕されたのか甚だ疑問といわなければならない。むしろ、三里塚十字路において、機動隊と集会に参加していた武装集団が衝突した後は、右十字路付近は極度の混乱状態にあったものと推認されるところ、(証拠略)等からも明らかなように、機動隊が武装集団のバリケードを撤去して武装集団を追跡し、約二四〇名もの人間を逮捕したのであるから、右追跡の過程で、現実に投石行為を行った者またはこれらの者と一緒にいて投石行為に加担した者と、その様な集団の後方にいて投石行為に加担していない者との判別は困難となり、結局追跡していった地点にいた人間をほとんど無差別的に現行犯人として逮捕したのではないかとの疑いを払拭できず、(証拠略)中に、原告菅野が逮捕された場所として、武装集団と機動隊との衝突のあった地点である三里塚十字路を示しているものがあるが(それは現行犯逮捕手続書の逮捕の場所として記載された場所をその図面に示したものと考えられる。)、本件のように二四〇名もの逮捕者をだした事件においては大量的処理の必要性から、現行犯逮捕の場所として最初の衝突地点が示されることは十分に考えられ、右証拠によって原告菅野の逮捕場所についての弁明を否定しさることはできない。とすれば原告菅野が「投石集団中にいて」逮捕されたことは、これを認めることは困難である。そして他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。

6  次に、原告菅野が「逮捕されたこと」から、原告菅野の本件被疑事実を認定することが許されないのは、言うまでもないことである(もっとも本件は、警察官による現行犯逮捕とされているので、一見容疑は濃厚と考えられがちであるが、現行犯逮捕そのものに問題があることは前記のとおりである。)。このことは、「被告人は無罪の推定を受ける」という法原則の支配する刑事司法においては当然のことであり、また、一般社会の常識でもあろう。そして、(証拠略)中の別紙抗告人代理人作成の準備書面にも触れられているように、国鉄の就業規則中にも存する起訴休職の制度は、起訴された場合でさえ、非違行為の内容となった事実が企業外の出来事であるので懲戒権者にはその事実の認定が困難であることから設けられた制度なのである。したがって、逮捕されたこと自体で原告菅野が違法行為を犯したものとして懲戒処分をすることはできないといわなければならない(その事実を被処分者が認めている場合は別問題である。)。

7  それでは、原告菅野は逮捕を予見しながら、すなわち違法行為に及ぶことを認識しながら本件集会に参加したと認められるか。被告清算事業団は、原告菅野の姉が原告菅野の逮捕の翌日に年休の申込みをしたことから、原告菅野が逮捕を予見しながら集会に参加したと主張する。しかしながら、原告菅野は、当日は「非休」であって勤務を要しない日であるから(この点は、当事者間に争いはない。)、逮捕されることを予見して事前に姉に年休の申込みを頼んでいたならば、「非休である」日にわざわざ年休の申込みを依頼することなどはありえず、かえって、姉による年休の申込みは原告菅野の関知しないことであったことを推認させる(なお、〈証拠略〉中には原告菅野が年休の申し込みについて依頼した旨を述べた部分が存在するが、この点については原告菅野は、原告菅野の逮捕を知った集会参加者が原告菅野の意思を慮って、原告菅野の姉に連絡して年休の申込みをさせたことは、原告菅野の意思にかなうことであるから、年休の申し込みとして扱って欲しいと述べたことを、その様に記載されたにすぎないと供述するところ、これは前記の「非休」の日に年休の申込みを依頼することはありえないことであるから、原告菅野の右供述は十分信用に値する。)。また、被告清算事業団は「右北原派の集会を支援する中核派等の過激派集団は、この集会を「今年最大の決戦」と位置づけ、同年夏頃から「空港突入・占拠・解体」を目標にして、全国からの動員を呼びかけていた。したがって、右集会後に、これらの過激派は、成田空港を警備する警察官と衝突することを当然予想し、警備陣を突破して空港を占拠する計画を立て、集会後のデモに使うため、丸太、角材、鉄パイプ、火炎びん、投石用のコンクリート片等の凶器となるものを事前に準備していた。一方空港を警備する警察もこの様な過激派集団の動きに備えて多数の警察官を動員して防備態勢を備えていた。この様な状況のもとにおいて、過激派集団のデモに参加すれば、警察官との激しい衝突になることは、当然に予測できるところである」と主張するところ、この事実の証明がされても、原告菅野自身が凶器が準備されていることを認識していなければ警察官との衝突を予測できたとは考えられず、この原告菅野の認識についての主張は何らされていない。したがって、原告菅野が逮捕を予見していたと認めることはできない。

8  以上の検討から、被告清算事業団が原告菅野の本件懲戒事由に関して主張するところは、これを認めるに足る証拠がないことが明らかになった。すなわち、原告菅野が「投石集団中にて」逮捕された者であるとは認められず、いわんや原告菅野自身が、逮捕事実を実際に犯したことや事前に逮捕されることを予見していたことをも認めることはできないのである。とすれば、国鉄がした懲戒処分の対象となる非違行為としては本件集会に参加して逮捕されたことのみが残ることになろうが、このことのみをもって懲戒処分をすることが許されないのは、前述したとおりである。したがって、本件懲戒処分は懲戒事由が存在しない場合に懲戒処分を発令したのであるから、原告菅野の処分の量定にあたって国鉄が考慮したとされる原告菅野の本件懲戒事由以前の非違行為についてはその存否を判断するまでもなく違法であり、無効であるといわなければならない。

二  第二事件について

請求の原因1及び2の事実中寮経費を除いて当事者間に争いはない。(証拠略)によれば、昭和六一年一月から昭和六二年三月までの寮経費は、別紙計算表の個人負担額欄計のとおりであったことが認められる。

しかし、請求の原因3については、一で検討したとおり本件懲戒処分は無効であるから、原告菅野には寮の明渡義務はない。

したがって、反訴原告の反訴請求は失当である。

三  第三事件について

請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。請求原因2の事実中、原告菅野が国鉄の職員となり本件寮に入寮したことは当事者間に争いはない。しかしながら本件懲戒処分は前記のとおり無効であるから、寮使用契約の終了事由は存しない。したがって、原告菅野は占有正権原を有しており、原告会社の明渡請求は失当であり、また不法行為に基づく損害賠償の請求も失当である。

四  結論

よって、第一事件についての請求は理由があるからこれを認容し、第二事件についての反訴請求及び第三事件についての請求は失当であるからこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井俊介 裁判官 村山浩昭 裁判官 林敏彦)

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